
三好りょう
プロフィール
三好りょうのストーリー

三好りょうの生い立ち
神戸で生まれ、幼少期を徳島、愛媛で過ごす。松山市育英幼稚園を卒園後、6歳時に香川県高松市へ引っ越す。香川県立牟礼北小学校、香川県立牟礼中学校、香川県立高松北高等学校卒業。
高校卒業後はアメリカの大学に進学(カリフォルニア州立大学フラトン校)し、英語学を専攻。2008年に国際関係学を学ぶためカリフォルニア大学ロサンゼルス校へ転学。2010年同大学卒業。
大学卒業後、一年間予備校に通い国家公務員試験1種に合格するが、面接で不合格。滑り止めで出していた台湾大学大学院国家発展学部へ合格し入学。大学院に通いながら翌年、2012年外務省試験に合格。2013年外務省に入省。
2014年から7年間、ロシアに駐在。19歳から約15年間、アメリカ、台湾、ロシアで留学、駐在を経験。2021年外務省を退職し、2022年れいわ新選組の門をたたく。
家族について
父、母、兄、妹の5人家族。兄は空手家。尼崎で指導員として活動中。母は週に一度のピアノ講師として働き、父は元サラリーマン。
香川県観音寺市大野 原市が本籍地。祖父母は農家。決して裕福な家庭でなく、高校3年生時、初めて通い始めた予備校の費用や19歳からのアメリカ留学費用は祖父母に援助してもらう。


空手
空手歴25年。14歳のときに兄の影響を受けて空手を習いはじめる。香川県高松市にある照道会館へ入門し、高野真一師範に従事。19歳の渡米時まで同会館にて稽古し茶帯を取得。渡米後はロサンゼルス極真会館に入門。本人は空手バカ一代の影響を受け、次の空手は極真会館だと決めていた。2005年から中坂琢氏に従事し、2010年6月の日本帰国時まで同道場に在籍。白帯から再度始め、2級を取得。ロサンゼルス新人戦大会軽量級、重量級、無差別級で優勝。毎年ロサンゼルスで開催される全米ウエイト制大会にも5年連続で代表選手として参加し、ベスト8を獲得した。2006年にはバンクーバー大会にロサンゼルス代表選手として派遣されている。2010年日本に帰国後は、香川県高松市の照道会館に再度通い始める。2013年から極真会館総本部 道場にて、赤石誠師範に従事。2014年ロシア駐在以降は、 第10回全世界空手道選手権大会で優勝したタリエル・ニコラシビリが在籍する道場まで片道1時間半かけて通っていた。現在は、横浜市西区の戸部道場に在籍している。
ピアノ
3歳から母親から習い始め6歳まで続ける。その後は、中学生のクラス発表前に練習する程度であった。社会人になってから本格的に習い始め、ロシア駐在時にはチャイコフスキーモスクワ音楽院のピアノ課に聴講生として入学。ミハイル・リツキー氏に従事した。


野球
小学校3年生から野球を始め、4年生時に香川県牟礼町の少年野球チームに入部。しかし、一度練習をサボったことに母親が激怒し、辞めさせられる。しかし、野球が好きで小学校5年生で地元のソフトボールチームに入部した。中学校では再度野球に挑戦し、野球部に入部するが、2年生時に空手を習い始めたことをきっかけに部活を休学。高校生では野球部には入部せず、ひたすら公園で投げ込みをしていたと言う。渡米後は、カリフォルニア州立大学フラトン校日本人野球部に所属し、主に投手として試合に出場。大学卒業の2010年まで所属していた。台湾大学大学院時代には、大学硬式チームのトライアウトに挑戦し、投手として合格するが、外務省試験の準備との兼ね合いから入部は断念し、日本人軟式野球チームのサークルにて活動した。外務省入省後のロシア時代には、ロシア人で構成されるサハリン野球チームと定期的にソフトボールの試合を企画し、ロシア人の子どもに野球を教えた経験も持つ。